原発アンケート
よくわからないほど、どちらにもよらない意見や妥協案を選択すると思う。誠実な回答結果だ。 判断できる材料がないと多くの人が感じている。原発問題が整理されきってないことの証だと思う。1年半経ってもまだ議論するだけの位置に達していない。
資源の問題や安いとか高いとか次元の低い議論で必要不要を唱えている。
外交ってなんのためにあるんだよ。
使用済み燃料だってうけとめてくれるとこが無限にある訳じゃない。
だれも受け入れてくれなくなったら、もうやめるしかないのは目に見えているのに。無理矢理利権でこじあけている。問題を先送りにして。
今回このアンケートのことも含めて、原発賛成ってことで動画投稿した。
本当はどっちも反対があればそれを選びたかったが、
2極にふれた選択しかなかったから。賛成を選んだ。
ずっと反対だと言ってきたけれど。正直今の反対の流れは好きじゃない。
俺はパキスタンのような分離独立にはならない。
賛成と反対だと言うのは早すぎる。
提示された2択だけが正解とはどうも思えない。
20年後に『実は電力足りてました。他に方法がありました』はほんとにいやだ。
節電でなんとかなるのならしたい。
個人の取り組みならエアコンを掃除するとか。
メーカーさんは省エネの商品作るとか。
国がそれを助成するとか。
どうにかなる数値で原発と向き合うならやれることってあると思うんですよね。
知恵も、取り組みも、十分に満たされないまま、共有されないまま結論に走るのは違うと思う。
それで情報の精査が行われて、全然電力足りなかったときの選択をどうするか。
できる限り節電して行く方式という選択をとっていくのか。
(ただ個人的にこういうのは隅々まで行き届かなければ、努力の個人差がでてしまうと思う。節電全てにいえることだが。)
原発をひとつの発電方法としてしっかり受け入れて生きていくか。
そのときは大多数の国民が最終的にそういう選択をしたのだから、運命共同体じゃないけど、一蓮托生として受け入れなければいけないのだと思う。
割を食う人がいても。ぼくらがいつも肉料理をたべているように。
情報がなくて判断がつかないのはわかるけど、
電気に頼ってこの国で生きていくなら、
足りなかったと判明したとき、知らないふりはできないよ。