さかもと末明事件

今ネットで流行ってるさかもと末明事件について思うのは、

この問題をさかもと末明という個人の問題にして終わらせてしまうということがもったいないなと思う。

たしかに彼女はモンスターである。

だけれど「公共の乗り物の中で赤ちゃんが泣く、子どもがうるさい」
ということに寛容ではいられない感情はよくわかる。

余裕のある人間がそれくらいは我慢しろという。
そういうのを自分以外の人間に求めるの簡単だけど、
みんな余裕がある訳じゃないのだ

こういうのはさかもと未明という人物が起こした特異的現象ではない。

日本という国が「他人に迷惑をかけるな」という常識を植え付けてきたことの結果。だからさかもと未明はキレた・・・
彼女はモンスターになることを選ばされたんだよ!!!

この問題で大切なのはさかもと未明という人物を吊るし上げて
「みんなでがまんしよう」じゃなくて

インドの教えみたいに
「他人に迷惑をかけてもいい。」
ってなっていないことが問題の根源だってきちんと認識することじゃないかな。

泣いている子どもの親も
それをまわりで聴いてるほうも
形式的。

泣いている子どもの親は、まわりの他人に迷惑かけちゃいけないという観念にとらわれている。

まわりの他人は「子どもが泣くのはしょうがない。」と思いながらも、「それを親が負い目に感じないのは許さない」と思ってる。

だからみんなイライラする。我慢ばかりでこの中で笑ってる人はひとりもいない。

普段は他人に迷惑かけるなとかみんなそういうのを根源にもってるのに、赤ちゃんはしょうがないとか。応用が利いてるつもりの奇麗事。


拙者が思うにこれの折衷案は
常識を「迷惑かけるな」として、さかもと未明が定期的に発生するのを受け入れ、「おお、面白いこと起きてんな!」とするか、

常識を「迷惑かけてもいい」として、泣いている子どもに寛容になり、
突発的に乱れる中高年には、「どうしようもねぇなあいつは」と、嘲笑しながら遠ざかるかしたほうがわかりやすい。

どっちにしたって、迷惑かけるなは圧迫感があるし、迷惑かけてもいい、は配慮がなくなる。

世界に一つだけの花が流行ったおかげでオンリーワンが極端に推進されちゃうように、バランスを求めるのは無理。

バランスと完璧を他人に求めすぎ。そういうのは自分の中だけにしないと。
そんな余裕もてない人も、頭もよくない人もいっぱいいるから。
人によって寛容になれるレベル違うし、成長できない人間もいっぱいいる。

だから最低水準の中でストレスフリーを考えていかないと。

もっと笑いに持ってく方向を模索して、洗脳していくべき。
とりあえずキューブリック北野武の作品をみんなみるべき。

感受性が悪いから、ネタになりそうなこともストレスとしてとらえる。もっと間抜けになんないと。

さかもと未明のあの堂々としたJAL再生記事はめちゃめちゃ面白いだろ。

なんであそこまで胸をはれるんだ。

タイトルだけで笑える。

日本の笑いに彼女は必要。

一応、さかもと未明の「赤ちゃんの泣き声に寛容になれない」というのは彼女自身のいかりでもあった。

「もうやだ、降りる、飛び降りる!」は至言。

でも彼女の思い込みの中で「他の人間にも迷惑かけている」という正義の代弁者的な思い込みもあっただろうから、ちょっと著名人は攻め過ぎだと思うね。
もうライフゼロなんだから。

でももし『わがままなうえに身体も弱く、さらにファーストクラスに乗るお金はない勝手な』さかもと未明が自分のことしか考えていなかったとしたら、
どうしても言いたいことがあるので最後に書いておくことにしよう。


















ファーストクラスに乗れ。