原発ジプシー 3/3 『罪』

放射能が人体にどのような影響を及ぼすかはよく知られているものの、
多くの人がその実感が湧いていないと思います。

 鼻や耳、歯茎からの出血、吐き気、めまい。
重度では脱毛、歩行障害、傍目にはわからないものでは倦怠感からくる無気力、脳への異常からくる知能低下、癌や白血病

チェルノブイリでは小児甲状腺がんの子供がたくさん増えました。

チェルノブイリリング


 もし自分が放射能の危険に晒されたら?
自分や家族が癌や白血病になる危険もある。特に成長期の子供。
でも他にも問題はあります。
今回のように原発で避難することになったとしたら特に。

のこされた動物たち 福島第一原発20キロ圏内の記録

『国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。』

 厩舎で身を寄り添い合って死んでいる馬や牛。
外にからっぽの容器があって、小屋の中で死んでいる犬 ー小屋の表札に犬の名前がとても力の入った文字で書いてあって、この犬がいかに愛されていたかが伝わってくるー 本当に信じられない。

ペットや家畜を飼っている人たちは断腸の思いで避難したと思います。
しかし放射能のせいで生きてるうちに戻れなかった飼い主の気持ちを思うとやりきれないです。

切腹のおしつけあい

私は清水社長や東電が逃げの姿勢をとっているのは自然の行為だなというか、国民の意思の反映だと思ってます。
原発をあの震災の日まで生かし続けてきたのは国民の無知とリテラシーのなさ、そこに電力会社のプロバガンダと言って差しつかえないでしょう。
しかし今はどうでしょうか。
あの震災の日から私たちは原発のリスクを理解し、原発が作業員や周辺住民の被曝や未来に負の遺産を遺すという道徳から逸脱したもので成り立っていることを理解しました。

 この事故が起きないまま原発を縮小していったら、国民はわがままを言っていたのではないかと私は思います。
「事故なんて起きないだろ。いつも安全だって言ってるじゃないか。電力会社の都合にあわせて生活水準下げたくない」
そういうのがみえているので東電も言い返したがってると思います。国民は都合のいい奴らだと。

 東電と国民は明らかに反目しあっています。
東電は自分達に反感をもつ(見限ってPPSにいこうとした)人間達に対して値上げに踏み切りました。
恐ろしく冷静な企業だと思いました。
本来ならこういうのはデモが起こって、ある程度民衆が譲歩を引き出すもんですがそれをやる気力も余裕も民衆にないことに気づいているからです。
それだけおおきくでれる自信を裏打ちしているのは原発デモのピーク時を東電が乗り切れてしまったことです。
自分達が殺されるわけでもないし、何かものを投げ込まれたり壊されたりしなかった。燃やされたりもしてません。実害を被っていません。
東京電力は僕たちの行動力を完全に見切りました。

 日本中の何千万という人間が現在進行形で東電に対して反感をもっていると思います。それでも何も変わっていないんです。
東電からすればデモなんて飾りです。
この決断からは東電の人たちに「職務を投げ出して自分達をひろう企業なんてそうそうない。かといっていまさら自分だけ更生しても、どうせ今は堕落してしまった人たちや、本物の大悪人と同じに見られる。どうせなら汚名を被るのならとことんこの生き方を選ぶ。」そういう開き直りを感じます。

 原発の成り立ちを遡っていくと、電力会社が国の発展という大義を建前に原子力で私腹を肥やすシステムを作り出してしまったことに端を発すると思います。でも私は電力会社が全部悪いとは思ってません。

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実際に働いたときのエピソードは[06:30]
動画の最後[16:50]から述べられた発言はこのブログを読む数少ない読者に見てもらいたいです。

 原発は核廃棄燃料がでます。その後始末は今生きてる私たちでなくその電力の恩恵を被らない未来の人たちです。
原発で働く人たちは今も被曝しています。私たちが今の生活を維持するために。
どんな原発でも事故が起きる可能性を含んでます
事故が起きれば作業員が死に、土地が死に、周辺住民は様々な症状、白血病や癌に悩み、警戒区域で家畜を飼ってれば殺処分、
ペットはおきざり、ふるさとには帰れなくなります。

 とりあえずであれ、原発の存在の容認は、上記全てを容認することではじめて成立します。
これらを否定し他人になすりつけることがいけないという立場に立脚しなければ、東電にモラルについて文句を言う資格など僕たちにはないです。

 私は、ここがひとつの分かれ目だと思ってます。
原発の存在の容認』がもたらす日本人への潜在的道徳観念に及ぼす影響はとてつもなく大きく、原発をなくすことは僕たちの心に大きな変化をもたらす契機になると思ってます。
原発をどう位置づけるかで僕たちの道徳の在り方や心の所在も決まってくる。

 僕たち国民は今、リスクを覚悟しモラルを妥協する今の生活を維持するか、リスクを回避をして人間性をとるか、原発に意思を問われています。

 僕たちは生かしあって、生かされています。
原発の問題は僕たちの心の問題です。
お互いに弱さをおしつけあったところでそこに前進なんてないんです。

 僕は日本はじわじわと変わっていく国だと思ってます。
自発的に起こす革命的な血をみる方法では上手くいかないのでガンジーキング牧師から学んで行く必要があると思います。
僕は日本だからこそやれる国民の意思表示のやり方が別にあると思ってます。

次回は『電力会社に求めることと国民の意思表示』について書く予定