『誰に向けて』

 作家は、批評を受け入れる事も重要だが、それは、批評する人間としてスジを通したものだけで充分である。「誰に向かって作品を書くのか」創作者はそこだけは絶対にブレてはいけない。(小池一夫)

事業者は、顧客の声に耳を傾けなくてはならない。これは逆に言えば、顧客でないものの声に耳を傾けてはならない、ということでもある。事実、顧客でないものの声に耳を傾けた結果、どれだけ多くのコンテンツ事業者が廃業に追い込まれたことか。

ぼくがツイッターはてなブログで読者の言うことを驚くほど聞かないのはそのためである。しかし、講演に来て頂いたり、ぼくと一緒に仕事をしている人や、ぼくのブロマガを購読している人は、逆にぼくが驚くほど彼らの声を聞くということを知っている。

それは、ぼくが「顧客は誰か」ということを知っているからできるのだ。そして、顧客の心の声を聞くことがだいじだと知っているからだ。それで言うと、今の顧客は声をあげる人ではなくなっている。確実に。何かを言う人は顧客ではない。顧客は、何かをする人だ。 (岩崎夏海)

ぼくは音楽をやってる。
ブログもこうやって更新する。
それは得るものがあるからだ。
リアクションもそうだし、振り返って気づくことがある。
つまり、得るものとは"見返り"である。
見返りの定義は、報酬、収穫、つまりはギブ&"テイク"である


基本、僕にとっての見返り定義は"相手のためになにかをすることが自分のためになる"
つまりは、わかってもらいたい、見て見ぬ振りはできない。というのが根源にある。
人を助けることで自分を救っているのだ。
だから、僕は人の役に立ったときは"役に立たせてくれてありがとう"と100回に1回は思うようにしてる。

でもこの考えは時に破綻することがある。
「相手のため→自分のため」の順序が
「自分のため→相手のため」になったときだ。

満足したいから手伝う。
楽になりたいから謝る。

となった時、
相手が表面上のやり取りを求めてなかった時に大体相手の癪に障るか、相手にされなくなるかという結果を迎える。
「おまえの姿勢などどうでもいい」わけだ。

これがフルにでたなと思ったのが僕は自民党総裁選である。
特に原発ゼロ問題。

22分過ぎから。

『最終的には原発ゼロを目指すか?』という問いについて。

町村、石破、林
「自分たちできちんとした根拠を示せないままゼロとは言えない」

安部、石原
「技術と人材衰退を招くからゼロと今は言えない」

5人とも原発はゼロにしたいけれども現状はできない、というニュアンスで話をしていたようにはみえた。みせただけかもしれないけど。

町村と石破と林に思ったことは、

『きちんとした根拠を示すために私たちが政治介入していき需要と供給の関係を数値として明確に示して行く』ぐらいは言ってほしかった。

安部、石原に関して言えば、「原発ゼロを政策としてすすめるために、原発ゼロ政策に伴う人材不足と技術の停滞を防ぐために税金を投じる」と言ってほしかった。

なんで言わなかったのか、といろいろ考えた。
足りない頭で考えたので3つくらいしか浮かばなかった。

そのうちのひとつが、"見返り"である。つまり合理的な選択で選んだということだ。

実際に今僕が言ってほしかった、ということを実際に5人が行動に移していけるか?と考えた時、これは相当な労力がいると思った。

町村、林、石破に関して言えば、
電力業界と対面するということ、

そうなったとき、実際に労力をかけてくれる仲間が必要である。でもそんなリスクを誰が背負ってくれるのか。果たして声高に望む人たちはそれだけの行動を起こしてくれるのか?

原発ゼロを願う人は多い。でも原発ゼロと言うことで、実際にじぶんの行動をどれだけ支持してくれるのか?支持してくれるかしてくれないか、ここが全てだ。支持とはなにか?それはただ応援している、ではない。金と票だ

文句はみな言うかもしれない。でもかといって支持してくれるかはわからない。

なんでゼロにしないといえたか?
それは言っても次の選挙で落選しないと見極めたからだ。
つまり原発ゼロだという人の実際の力などたかが知れていると彼らは思っている。彼らの感覚では実際に自分たちを支えている人たちは、原発の有無の話ではない。もっとたくさんの要素がある。当たり前の話だが。

デメリットのほうが遥かに大きい。
選挙だなんだとみんな言うには言うが、選挙は国民がおこなっているんじゃない。支持団体が行っているものだ。それが現実だ。組織票がこの国では全てだ。
それが日本の地方豪族システムである。

残りの2つは蛇足かもしれないが一応触れておこう。

2つ目は能力、である。
これはシンプル。つまり私には原発ゼロ政策実現するだけのアイデアもパワーもない。という判断である

さいごのひとつはポジティブシンキング
発言の影響力を考慮して、原発をゼロにするきはないと言った説である。自分たちが与党になった時国を率いることになった時のことを含めての発言である。

端的に言えば、外交と防衛、そして貿易への配慮である。

とてつもなくおおざっぱな言い方になるが、原子力発電があるということは、安部や石原も言っていたが、原子力への技術力があるということである。

もしここで原子力発電を否定することになったら、
ただでさえ、戦争を否定する国なのに、原子力も否定する。こいつらは核武装をする気はない、ということの一種の裏付けになりかねない。

それから、化石燃料の高騰はほぼ間違いなく招かれる、ということである。

昔から言われているが、
日本は核武装が必要だ、必要じゃない、と言い合っている状態が一番バランスがいいのだ。

核武装をすれば憲法的にも、国の体裁的にもよくない。
しかし核武装をしないことを断定したら、侮られるのは目に見えている。

なので日本は刀に手をかけている状態に落ち着いたままでいたいのだと思う。

話が脱線したので見返りの話に戻そう。

人ってのは自分に返ってくる部分に向かって発信するんだよね結局は。
うん。

もうめんどい。寝る。

最後に
僕は音楽をやってるが、流れとしては

"自分のためにやることで、誰かが受け取ってくれる、誰かのプラスになる。それが自分に返ってくる"

というのを狙って音楽やってる。まぁいまんとこは。
自分のこと確かめたいってのもちょっとある。
俺よくぶれるから明日には違うこと言ってるね。たぶん。

自分ありきってのは昔から死ぬまでかわんないだろうけど。

しかしこのブログも音楽も誰に向けてるのか、
固定してみるのもありかもしれない。
いままではあいつに向けて、こいつに向けてと散発的だった。
自分がどっち向いてるかわかんないときもある。
記事なのか、日記なのかはっきりしない。

寝る。