白いリボン

白いリボンをみた。

すごく体力のいる映画だった。
自分のほうから解釈をしにいかないと置いてけぼりにされる。
挑戦的な映画である。

一般的な映画は受け身でみれるけど、これはとてもじゃないけどそういうのは無理だ。

理解するためには何度も見なければならないと思う。

しかし映画は1回で見終えたい人もいると思うので
あえて補助的な情報を書いとく。












�冒頭の語り、
『あの出来事こそが、当時の我が国(ドイツ)そのものなのだ』
という言葉は極めて重要である。

�割を食うのは社会的弱者(女、こども、小作人)である。

�子ども世代は後にナチズムの中心になる。




この映画は
陰惨で抑圧なものは、あいまいであることとしてすっきりさせなかったことところがすごいなと感じました。

日本も閉塞感の漂う空気がよく取りざたされるので、
共通点は結構あるなと思いながらみてました。
理不尽と不条理が生む狂気。

ちなみにナチズムについて補助もいっておくと、『差別』『迫害』です。

ネタバレはこちら↓












http://sorette.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-bd7f.html

↓こっちのほうがおすすめかもね。

http://nailsweet.jugem.jp/?eid=576

気づいた。

�ギターぶっ壊れてる臭い。ギターの故障は虫歯と同じというが、まさにそう。応急処置は無駄。きちんとなおさないとこれはやばい。
でも保証書みたいなのみつかんない。まじで詰んでる。

�冷蔵庫の年間の電気代って10年以上前のだと30000〜40000円とかだったんだね。3年前で12000円。今出てるやつは4400円のものとかある。

電気が足りないってより、
もとになってる消費量が多いのでは。

これは石油などの資源にもいえるような。
車もリッター10切ってるのはやっぱまずい。
でも結構みんなのってるんだよな。

『人間の邪悪な心を変えるより、
プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい』

とかアインシュタインも言ってたし。
おれ相対性理論とか全然わからないけど。

人間急に立派になれる訳ないんだから、
エネルギーを使うものを買い替えるのが
電力問題解決への近道なんじゃないか。

ただ、エコポイントの時に買い替える余裕ある人は買い替えちゃったからな。
エコポイントのとき年間消費量10000〜12000とかだからな。エコポイントタイミング惜しかったな。

うちも冷蔵庫買い替えようとか思わないし。
そういう意味でテレビの地デジ移行の強制力ってのはすごかったな。


一人暮らしは新宿を睨めるとこにしたほうがいい。


携帯やBBもそうだけど、
自分の暮らしに直接関わることを覚えるのは楽しい。家電とか。


人として軸がぶれている

もしもkoboが同人誌を全開に推し進めていたら

アングラ界隈でかなり流行ったんじゃないだろうか。
あ、でももうすでにそういうのやってるサイトがあるのか。

いやーでもこの流れで楽天がそれやったら絶対ウケる。
どんだけ迷走してるんだよって、俺なら笑う。
笑いをとれるタイミングは今なのに。
『笑いとれない企業は印象悪い』が俺のもつ暴論だから。

掃除無理

あー全然掃除すすまないわ。もう駄目ですわ。
ネットのせいでかえって効率さがるってのまじでそうですよ。
別になにかみてセンスあがるわけでもないし。
不景気なのは日本人がゴロゴロするようになったからじゃないですかね。ネットみてたらそりゃお金動かねーよ。
もうとりあえず全部ネットのせいにしとけ。

ここ2、3年でいろんなひとと関わるけど、
適切な距離でやりとりしてると、恋愛やってるみたいでうけるよね。
まぁ楽しいんだけどね。余計な言葉がいらないしね。


(4時間経過)

掃除おわた!!今午前2時!!踏切に望遠鏡をかついでったとかはないです!



書きたいことようやく思い出したわ。

このまえ岩崎夏海さんのね、ブロマガでね
ネトウヨは基本的には真面目』という言葉で
あーこれは、ほんまそうですわと思ったんですよ。

ネットでの議論がいつも対極同士のぶつかりあいになってるのって
こういうところにあるんだよね。

なにがいいたいかっていうと、「お互いにその問題に対してよくしたいと思っている」
という認識が欠けている。
ネトウヨは基本的には真面目』
この言葉は言い換えるとね、ネトウヨは日本をよくしたいと思ってるんですよ。

ネトウヨが正しいかどうかはともかく、
ネトウヨのことを毛嫌いする人たちはこの認識がないんですよね。
次第に相手の言っていることへの批判ではなくて、
相手そのものの否定になってしまう。

だから『どうこの問題を解決するのか』という話し合いが、
どちらのほうが正しいかを証明するだけの議論になっちゃうんだよね。

こういうのが結果的に例えば、
オスプレイは危険だっていう凧揚げの人みたいになる。
このまえ抗議行動としてオスプレイに凧揚げて妨害しようという、
身も蓋もないことがおきたのだ。びっくりした

結局ぼくら人種が単一だから、目に見えにくくて気づかないだけど
黒人差別、白人差別と、おなじレベルの話し合いしかしてないんだよね。
『あいつは00だから〜』という先入観からスタートしている。
もうその瞬間何も聴くきないからね。

形式的なやり取りをやるだけさ。
一旦相手のことを(見かけだけ)受け止めて、
あとで自分のいいたいことをどばっと言う。
つまり聴く気もないし、伝える気もない。
はきだしてるだけだからね。


例え相反する立場でもさ、
お互いに望んでるイメージ(=理想)が、同じであると仮定するなら
自分たちが話し合ってることが、『到達点=目標』に向けて話し合っているという認識に経たない限り、
建設的な議論はできないだろうね。

日本のネットにおける議論には司会者がいるのかもしれない。
ネットっていいっぱなしだからね。意見がまったく集約されてない。誰もまとめないうちは便所の落書きだね。

yahoo知恵袋のベストアンサー制度とか、あーゆうのいいよね。
アマゾンの☆1つの有用性のあるもの、☆5の有用性のあるレビューみたいなのの、いいとことれればね、
議論の中で軸となる発言が定まりやすいんじゃないかな。
そこで決まったことがあっても、またそれに対して同じことやれば、不思議と3回目の派生くらいでとまるからね。最終的にはまとまるよ。(何年か経過してからつっこまれるのもありだね。)

その結果、まちがってもいいよね。てゆうか、
結論をだす事柄が間違えないってありえないからね。

みんな絶対の正解を目指しすぎなんだよね。
正しさを証明したいのも含め、だから議論がまとまらないんだよ。
結局可能性を選ぶしかないんだって。

司会者の話に戻す。

軸というか司会者というか、
司会者だったら抑えるだけじゃなく、
導く役割もほしいよね。

ピックアップってすごい大事だからね。
ネットって広大すぎるよね。全部ひろっちゃってるからね。
解決ってやっぱり切り捨てた先にあるからね。

とりあえず、この国はディスカッションのレベルが低いんだよ。
すげー偉そう俺。うける。

お互いの正しさを言い合うのではなくて、
結果からのフィードバックを考えれるようにならないとね。

やっぱ教育が悪いんだよ。















ってみえてじつはぼくらが悪いんじゃいないかて最近思うね。
いやーうける。

国が悪い、教育が悪い。

みんな自分が悪いとは思わないのがなんか変だよね。

この国、民主主義だからね。国民主権なわけだよ。

国が悪いってのはね、支配されてる人間が思うことなんだよ。
それだけ、みんな考え方が封建的だよね。
国は国民の所有物だから、結局国をなんとかできるのって国民、だと僕は思うんだけどな。もしかしたら僕のほうが頭かたいだけかもね

みんな知らないふりしてるから、官僚と国会議員が国を振り回してるんじゃないかな。

反乱とか暴動とか起きない。
自殺する人間がただどんどんでるだけ。
もうそれが示してる。
国民の総意としては、このままでいいと思っているんだよ。

この国の国民はね、本当はみんな妥協してる。そして危機感がなく、周りのものの影響の変化は自分には関係のないことだとしている。

みんなつまんないことにまわす気力も余裕もないからね。
興味のあることに力つかって終わり。

自分ではないと思っている。だから変わらない。

寝れない

自分を省みない人たち〜ネットの限界〜

 こんばんわ。この前ライブやりました。
たのしかったです。終わり。

 今ネットサーフィンしてたら、
ドンマイな2chまとめをみっけた。

【バカ発見器】Twitterで栃木の高校一年生が乙武さんに…【VIPで炎上中】

この流れをまとめると

1、Twitterで高校生が乙武さんに『はっきりいってお前キモイよ 2ちゃんでだいぶ叩かれてること知らないの?笑 』
と、突撃。

2、乙武さん以下の画像のようにさらりと返す

h_ototake: はっきりいってお前うといよ 2ちゃんでだいぶ愛されてること知らないの?笑
RT @kenimaikomikomi: はっきりいってお前キモイよ 2ちゃんでだいぶ叩かれてること知らないの?笑 』

3、Twitter2chを日頃使うネット民が乙武さんの対応を褒めた後に
ネット民はそのままの勢いで、高校生の情報特定してこいつ叩こうぜ、となる。

4、ねらーが高校生の飲酒ツイートを発見して、自分たちの行為を社会的制裁という免罪符にしながら、高校生を追いつめる。

こんなところだ。

 こんなの俺が乙武さんだったら、
「この人何も知らないんだな。てきとうなやっちゃ。」で終わり。
実際乙武さんの言う通り、2chでの乙武さんへの評判は好意的なコメントが大部分を占める。
だからこの高校生は、てきとうなこと言って乙武さんにつっかかっただけなのはすぐわかる。

乙武さんの発言をよく読んでほしい。乙武さんは『自分が愛されている』という発言と、『あなたはうとい』ということしか言っていない

乙武さんとしては、高校生を追いつめたりするつもりなどなく、お笑いの方向にもっていってそれでパシっとフィニッシュさせたかった。
端的に言えば、乙武さんは追いつめるどころか、彼のために諭してそれで終わらせたかったはずだ。

 でも結果どうなったかというと、
高校生のものと思われるアカウントは消され、
本人の通ってる学校。本人の名前まで特定された。

はっきり言えば乙武さんが望んだことと反対の結果になった。と、僕は感じている。

今回のネット民の行いはどの観点からでも正当化できるものではない。個人情報が暴かれて行く様を眺めることで愉悦に浸っているだけ。

高校生にわからせるためだとか、みせしめだとか。そんなのは加害者側の勝手な都合である。免罪符になどなりはしない。

高校生への教訓というのなら、
ネット民達は高校生になにか教えてあげるほど『高校生のことを想っているのか』だ。いうほど将来の心配をしてあげてるわけでないだろう。むしろそれならなぜ個人情報の特定をするのか。

 結果的にネット民の人たちは自分たちの民度やモラルがどういったものであるかを程度の低い形で示しただけだ。みせしめどころの話ではない。正直にいじめ楽しいですとはっきり言ったほうがましだ。

それなのにいつも海外からどうみられているかを気にしたりしている。
こういうおこないを『ジャップ最高だ』って褒めてもらえるかよく考えてほしい。こんなにしょっぱいことなかなかない。



 それから、なぜ未成年の飲酒が駄目なのか?
みんなきちんと考えていないんじゃないだろうか。


『未成年が飲酒することによって未成年者の健康を害する恐れがある』から、だから法律で禁止するんじゃないか。

相手のことを思ってないなら、人をおもちゃにして楽しいとはっきり言うこと。いじめを正当化はできない。悪人なら悪人らしく。

ネット民達が乙武さんの意図を汲むのであれば、(まぁ、そういう気はないのだろうけど)
飲酒を発見したら、まずは体の心配をするべき何じゃないのか?と思う。
それから、次に調べもしないで適当なこというもんじゃないとか、安易に悪口いうなとか、そういう順序だろう。
その寛容さを示していくことができず、表に出てきた物をただ袋だたきにするからかえってこの国は窮屈になっている。

こっからは話がそれる。

何が言いたいかというと、こういうことの繰り返しが僕たちを苦しめているということだ。

ネットの限界はここにある。匿名性は人を弱く形成してしまう。言いっぱなしにできてしまう。
自分にはできないことを人に求めるようにもなる。

 今回高校生をネタにしたネット民人たちの中にも、大津市教育委員会や政治家に文句を言ったり電力会社にモラルがないと騒いだり、高校卒業したくらいから酒飲んだりたばこ吸ったりしてる人はいると思う。

『バレていなければなにをしてもいい』と考えているはずだ。

日本の隠蔽体質は、発覚したときの周りの人間の不寛容さが原因である。だから隠す。そんなのは当たり前だ。

間違えは誰にだってある、でもその先に続きがあるなら、
次に何をするべきかが大事なんじゃないかな。

法律違反をしていいわけではないけど、
でも、法律は絶対でもない。法律は本来であれば、時代に即したものでないといけないから。でも大抵が後手。

現役大学1年生くらいの飲酒などは、いい加減はっきりしてほしい。
常識や風習がただしいのか、あくまで法律が正しいのか。
黙認なんてあいまいな形に落ち着けるから、みんなコソコソする。


人が人を許せなくなっていくと、いつか自分も許されなくなる。

バレなければ人を追いつめていいわけじゃない。
法律に違反しなければ、なにをしてもいいわけじゃない。

当たり前のことだと思うんだけどな。

音楽を支えているのは何か。

音楽マーケットを支えているのは何かというと、
やはりそれは商業主義というかビジネスの部分だと思う。

はっきしいえばそのコンテンツの中身が重要なのではなくネームが大事、と考えて、買い支える人こそがマーケットを支えている。
ジャニーズが出すものならなんだって買う、というファン。

質を求める人間は本当に納得したものしか買わない。
僕の場合はだけど、
質でものを買う時に定価で買わなければ申し訳ない、という気持ちになることこそが僕は自分自身の純粋な購買意欲だと思ってる。

でも、僕のこの考えは、アーティストを支えているかというと。金銭面では支えてない。
消費者である前に、リスナーである。

質を求める民衆はパトロンにはならない。つまり創作物にお金を出す人。
少しでもイマイチであれば金はださない。
ネームに金を出す人はパトロンになる。つまり創作者に金を出す人。
どんなんでも金は出す。その人物に純粋に惚れ込んでるから。


ちなみにぼくは音楽に関していえばマーケットってのは別になくてもいいと思う。

『誰に向けて』

 作家は、批評を受け入れる事も重要だが、それは、批評する人間としてスジを通したものだけで充分である。「誰に向かって作品を書くのか」創作者はそこだけは絶対にブレてはいけない。(小池一夫)

事業者は、顧客の声に耳を傾けなくてはならない。これは逆に言えば、顧客でないものの声に耳を傾けてはならない、ということでもある。事実、顧客でないものの声に耳を傾けた結果、どれだけ多くのコンテンツ事業者が廃業に追い込まれたことか。

ぼくがツイッターはてなブログで読者の言うことを驚くほど聞かないのはそのためである。しかし、講演に来て頂いたり、ぼくと一緒に仕事をしている人や、ぼくのブロマガを購読している人は、逆にぼくが驚くほど彼らの声を聞くということを知っている。

それは、ぼくが「顧客は誰か」ということを知っているからできるのだ。そして、顧客の心の声を聞くことがだいじだと知っているからだ。それで言うと、今の顧客は声をあげる人ではなくなっている。確実に。何かを言う人は顧客ではない。顧客は、何かをする人だ。 (岩崎夏海)

ぼくは音楽をやってる。
ブログもこうやって更新する。
それは得るものがあるからだ。
リアクションもそうだし、振り返って気づくことがある。
つまり、得るものとは"見返り"である。
見返りの定義は、報酬、収穫、つまりはギブ&"テイク"である


基本、僕にとっての見返り定義は"相手のためになにかをすることが自分のためになる"
つまりは、わかってもらいたい、見て見ぬ振りはできない。というのが根源にある。
人を助けることで自分を救っているのだ。
だから、僕は人の役に立ったときは"役に立たせてくれてありがとう"と100回に1回は思うようにしてる。

でもこの考えは時に破綻することがある。
「相手のため→自分のため」の順序が
「自分のため→相手のため」になったときだ。

満足したいから手伝う。
楽になりたいから謝る。

となった時、
相手が表面上のやり取りを求めてなかった時に大体相手の癪に障るか、相手にされなくなるかという結果を迎える。
「おまえの姿勢などどうでもいい」わけだ。

これがフルにでたなと思ったのが僕は自民党総裁選である。
特に原発ゼロ問題。

22分過ぎから。

『最終的には原発ゼロを目指すか?』という問いについて。

町村、石破、林
「自分たちできちんとした根拠を示せないままゼロとは言えない」

安部、石原
「技術と人材衰退を招くからゼロと今は言えない」

5人とも原発はゼロにしたいけれども現状はできない、というニュアンスで話をしていたようにはみえた。みせただけかもしれないけど。

町村と石破と林に思ったことは、

『きちんとした根拠を示すために私たちが政治介入していき需要と供給の関係を数値として明確に示して行く』ぐらいは言ってほしかった。

安部、石原に関して言えば、「原発ゼロを政策としてすすめるために、原発ゼロ政策に伴う人材不足と技術の停滞を防ぐために税金を投じる」と言ってほしかった。

なんで言わなかったのか、といろいろ考えた。
足りない頭で考えたので3つくらいしか浮かばなかった。

そのうちのひとつが、"見返り"である。つまり合理的な選択で選んだということだ。

実際に今僕が言ってほしかった、ということを実際に5人が行動に移していけるか?と考えた時、これは相当な労力がいると思った。

町村、林、石破に関して言えば、
電力業界と対面するということ、

そうなったとき、実際に労力をかけてくれる仲間が必要である。でもそんなリスクを誰が背負ってくれるのか。果たして声高に望む人たちはそれだけの行動を起こしてくれるのか?

原発ゼロを願う人は多い。でも原発ゼロと言うことで、実際にじぶんの行動をどれだけ支持してくれるのか?支持してくれるかしてくれないか、ここが全てだ。支持とはなにか?それはただ応援している、ではない。金と票だ

文句はみな言うかもしれない。でもかといって支持してくれるかはわからない。

なんでゼロにしないといえたか?
それは言っても次の選挙で落選しないと見極めたからだ。
つまり原発ゼロだという人の実際の力などたかが知れていると彼らは思っている。彼らの感覚では実際に自分たちを支えている人たちは、原発の有無の話ではない。もっとたくさんの要素がある。当たり前の話だが。

デメリットのほうが遥かに大きい。
選挙だなんだとみんな言うには言うが、選挙は国民がおこなっているんじゃない。支持団体が行っているものだ。それが現実だ。組織票がこの国では全てだ。
それが日本の地方豪族システムである。

残りの2つは蛇足かもしれないが一応触れておこう。

2つ目は能力、である。
これはシンプル。つまり私には原発ゼロ政策実現するだけのアイデアもパワーもない。という判断である

さいごのひとつはポジティブシンキング
発言の影響力を考慮して、原発をゼロにするきはないと言った説である。自分たちが与党になった時国を率いることになった時のことを含めての発言である。

端的に言えば、外交と防衛、そして貿易への配慮である。

とてつもなくおおざっぱな言い方になるが、原子力発電があるということは、安部や石原も言っていたが、原子力への技術力があるということである。

もしここで原子力発電を否定することになったら、
ただでさえ、戦争を否定する国なのに、原子力も否定する。こいつらは核武装をする気はない、ということの一種の裏付けになりかねない。

それから、化石燃料の高騰はほぼ間違いなく招かれる、ということである。

昔から言われているが、
日本は核武装が必要だ、必要じゃない、と言い合っている状態が一番バランスがいいのだ。

核武装をすれば憲法的にも、国の体裁的にもよくない。
しかし核武装をしないことを断定したら、侮られるのは目に見えている。

なので日本は刀に手をかけている状態に落ち着いたままでいたいのだと思う。

話が脱線したので見返りの話に戻そう。

人ってのは自分に返ってくる部分に向かって発信するんだよね結局は。
うん。

もうめんどい。寝る。

最後に
僕は音楽をやってるが、流れとしては

"自分のためにやることで、誰かが受け取ってくれる、誰かのプラスになる。それが自分に返ってくる"

というのを狙って音楽やってる。まぁいまんとこは。
自分のこと確かめたいってのもちょっとある。
俺よくぶれるから明日には違うこと言ってるね。たぶん。

自分ありきってのは昔から死ぬまでかわんないだろうけど。

しかしこのブログも音楽も誰に向けてるのか、
固定してみるのもありかもしれない。
いままではあいつに向けて、こいつに向けてと散発的だった。
自分がどっち向いてるかわかんないときもある。
記事なのか、日記なのかはっきりしない。

寝る。